「夫婦の調和」「家族の調和」をはかることが、子どもの成長と幸せに直結すると痛感する毎日

父親と子ども

子どもが生まれて以来、自分のことはさておき、子どもが中心の生活に一変しました。

こんなふうに言うと、マイナスなイメージでとらえられがちですが全くそうではなく、それが当たり前生活として楽しい毎日を過ごしています。

ありがたいことに、五体満足で生まれてくれた息子はスクスクと育ってくれていて、これからの成長も楽しみで仕方がありません。

 

僕は基本、生後〇ヶ月で〇〇ができる、1歳〇ヶ月で〇〇が出来るようになるのが一般的、みたいなことが書かれた育児書ははほぼ見ないのですが、子どもの成長が遅くないのか?この年で〇〇ができていなくても大丈夫なのか?といったことが気になる人は多いみたいですね。

(育児書を見ないと言っても、最低限知っておかないといけないことや命に係わることなどは、色んなところで調べて見て読んで知識にしています)

もちろん無事に成長してくれることを願わない日々はないのですが、正直なところ、言葉を話すようになるのはいつ頃か、スプーンやフォークを使えるようになるのはいつ頃か?手でご飯を食べるけどやめさせた方が良いのはいつぐらいから?みたいな、「成長度合いの平均」みたいなものは気にしたことがありません。

 

そもそも「人間として生活するために覚えていくもの」に関しては、親である自分たちを見て、勝手に学んでやっていってくれると考えているからで、今のところそう実感できています。

実際のところ、僕も妻も息子(以下:ニョロ助)が生まれて以来、赤ちゃんの頃から話しかけるのが大好きでよく話してますが(やらなきゃいけないからじゃなくやりたいからやってるだけ)、ビックリするぐらい言葉を覚えるのは早いようです。

成長スピード的なものは育児書を読まないからわからないんじゃないのか?ということですが、僕は分かりません。

ですが、ニョロ助と妻があそび場などに出かけたり他のママさんと話している時に、どこにいっても1歳ぐらい上に年齢を間違われるほどのレベルなんだとか。

さて、そんなニョロ助の成長が著しいんだ!すごいだろ!ということを言いたいわけではなく、子どもの成長に関して思うところを書きたいと思いました。

それは、どうして自分は子どもが無事に成長してくれているかどうか?に疑問を持つこともなければ、悩みを持つこともないのだろう?ということです。

問題なく育ってくれていることには多大なる感謝の気持ちがあり、毎日のように今日も無事でありがとうという気持ちです。

一方、この成長具合でいいのだろうか?みたいな心配をしていないということです。

育児すべてにおいて悩みがゼロというわけではないにしても、世間で色んな意見が飛び交ってる中では、そういう心配はかなり低い部類になると思います。

 

成長スピードに関する知識を大して持ち合わせていないから」というのであれば、それは確かにそうかもしれません。

そういう類の育児書を読まないので、知らぬが仏状態と言えるかもしれませんから。

 

また、「悩むこともなく成長してくれているんだから、心配なんてないに決まってるだろ!」というのも、多少なりとも当てはまるかもしれません。

親が話す言葉をどんどん吸収して話してくれるようになってるし、運動もしっかりできるし、日を追うごとにコミュニケーション能力は上がっていると感じるほどですから。

でも、『じゃあどうして「あれしなさい」「これしなさい」と、教育的にはまったくと言っていいほど教えることをしていないのに、ちゃんと成長してくれるんだろう』と考えたりしました。

(もちろんやりたそうにしていることを誘導してあげたり、やろうとしていることをサポートすることは幾度となくあります)

 

結局のところ僕の答えは、「夫婦のコミュニケーションと家族のコミュニケーションがどれだけ取れているか」、ただそれだけで子どもの成長の悩みは解決するに落ち着きました。

子どもには愛情が注がれていたとしても、夫婦の愛が冷えきっていたらダメだし、夫婦の愛があったとしても子どもはそっちのけみたいなことがあれば、元も子もありません。

 

今日はそんなお話を綴ってみたいと思います。

科学的データに基づくものではなく、僕の信念と考え方から思うことです。

スピリチュアル的な側面や、世間で推奨されているようなものからは離れていることもあるかもしれませんが、一つの考え方として読んでみてもらえると幸いです。

誤解がうまれるとイヤなので書きますが、「僕自身ができているからこの記事を読んだ人も実践した方が良いよ!」という目線で書いたものではありません。

むしろ、「自分へのメッセージだったり、胸に手を当てて自戒して、自分自身が常にしっかりと実践しなきゃいけない」という意味で書いています。

とは言え、子どものことや夫婦のことで悩む人に、少しでも伝わればいいなという想いも込めて書き綴っています。

小さいときにどれだけ子どもの無限の心を膨らませてあげられるか

我が家の育児方針は、これに尽きます。

赤ちゃんの頃から幼稚園に入るころまで(特に3歳ぐらいまで)の間に、どれだけ子どもの無限の心を愛情で膨らませてあげられるか。

正直これさえできていれば、何も心配することはないぐらいに思ってます。

 

抱っこを求めてくるなら何をしててもいったん手をとめて、抱っこしていっぱいいっぱい抱きしめます。

やりたいことにはとことん付き合い、イヤイヤが消えて納得するまで一緒に遊びます。

毎日子守唄をうたいながら、頭をなでながら一緒に寝ます。

こういったことは我が家が当たり前でやっていることですが、恐らく今日こんにち良いと言われている育児とは、相違があるのかもしれません。

 

ほぼなにも心配することはなくなっているんじゃないかというのは、そもそもの根本として親側がこういう気持ちでいられれば、これだけ子どもと向き合うことができていれば大丈夫ということです。

また、子どもは子どもで愛されていると子どもながらに潜在的にでも実感できていれば、迷うことなく自信を持って育っていくと考えています。

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3人で一緒に遊んでいるときの子どもの顔を見ると、最高に幸せそうな顔をしている

我が家は、僕が外ではたらき、妻は専業主婦。

常にニョロ助と一緒にいてくれているのは妻で、毎日子育てに奮闘してくれています。

家族3人が一緒にいられるのは、僕の仕事が終わってからと休日のみ。

 

妻は「幼稚園に行くまではできるかぎりニョロ助と一緒に過ごしたい」という想いを持ってくれているため、僕が働いている間も常にニョロ助と遊んだり出かけたりとしています。

でも妻とニョロ助の2人です。

僕が仕事から帰ってきたら、ニョロ助の遊び相手やご飯を食べたりお風呂に入ったりは僕にバトンタッチとなりますが、妻は昼間からたまっている家事をずっとしてくれているので、夜の時間は僕とニョロ助の2人が多いです。

やっと1日のやるべきことが一段落したと思ったらもう寝る時間。

なかなか3人がゆっくりできるタイミングはありません。

ニョロ助がひとりぼっちになることはないものの、親のどちらかと2人というシチュエーションも多いわけです。(と言っても、一般的な家庭と比べると、かなり多い時間を3人で過ごせてる方だと思いますが)

 

そんな中、もう今日の家事は終わり!と、平日でも3人がゆっくりできることがあります。

週末はもちろん四六時中一緒です。

その時のニョロ助の顔ときたら、右を向けばパパがいて左を向けばママがいて、もうそれはそれは幸せそうな顔をしています。

あんな笑顔が自然と出てくるなんて、家族がそろってコミュニケーションが取れている環境は、子どもの心を豊かにするために必要な環境だと言えるのは間違いないでしょう。

夫婦の不調和(言い合いやケンカなど)は子どもの心にメスを入れるようなもの

仲は良いと言っても、僕と妻で意見のすれ違いが出てくることはあります。

育児に追われ仕事に追われ、気持ちに余裕が持てなかった時にほんのささいなことでちょっとした言い合いになってしまったり、素直にあやまれなかったり。

そんなとき、わずか2歳をすぎたばかりのニョロ助が、「パパもママも仲良くしてね」、という表情とともに2人のあいだに入って笑顔で寄り添ってくれます。

家族3人が揃っている時のあの心から満たされた表情とは違い、むりやり作ったような笑顔を向けてくるわけで、そこでハッとさせられます。

 

「どれだけ心を愛情で膨らませてあげられるか」と考えているにも関わらず、夫婦の不調和(ケンカや思いやりを持たない心など)は、その膨らんでいる心にメスを入れてしぼませてしまうような行為です。

そういう側面から考えても、夫婦の調和をはかることは、子どもの成長において子どもとしっかり向き合うことと同様レベルに重要なことだと痛感します。

「子どもはほっていても育つ」の考え方

昔から「子どもはほっておいても育つ」というフレーズを幾度となく聞いたことがあります。

自分が子育てをする側になり、「この言葉は確かにそうだな」とも思える部分があります。

とは言っても、僕の見解はちょっと違う視点ですが。

 

僕が考える「ほっておいても育つ」の意味は、「生活するための最低レベルは勝手に育つ」です。

2歳や3歳になると、トイトレ(トイレトレーニング)がなかなかうまくいかない、と悩む人は多いみたいですが、それでも年齢が過ぎればいつかトイレで用を足せるようになります。

最近おはしの使い方がどうだと問題になったことが記憶に新しいですが、おはしの持ち方のきれい・汚いはあったとしても、みんないつか自然と使えるようになります。

スプーンやフォークだって、使い方のきれいさはあれど、みんな使えるようになるんです。

お茶だってコップに入れられるようになるし、服だって自分で脱ぎ着できるし、お風呂だって自分で入れるようになるし、信号だって渡れるし、一人で寝られるようになるし、大体のことは勝手に見て理解してできるようになるんです。

(多少なりのサポートはもちろん必要ではありますが)

これが僕の思う「こどもは勝手に育つ」というもので、だからこそ○歳には○○ができていなきゃいけない、○歳だったらこういうことができるはず、ということにとらわれないのかなと。

そういったものは「いつできるようになるか」だけの話なので、タイミングをみて軽く誘導していければ十分で、後は勝手に育っていきます。

問題は「心」です。

これだけは親がしっかりと向き合わないといけない大切なものです。

結局は「子どもの心を育てること」に帰結する

心を育てるとは、どれだけ子ども自身が親からの愛情を感じられたか、親がどれだけ子どもに表現し伝えられたか、です。

 

子どもを愛していない、子どもが大切だと思っていない親などいるはずがありません。

のはずなのに、現実世界はと言うと、なかなか思い通りにいかないことの方が大半で、イライラして怒ってしまったり、悩んでしまったり、そしてそんな行動をしてしまう自分を後から情けなくなったり。

大好きだったドラマだって見るのを我慢することが増え、友達と遊びに行きたいのに行けないことが増え、自分のスケジュールで物事が進まないことにもどかしくなり、スマホだって全然触る時間がない。

やりたいことができなくなるもどかしさは、十分に気持ちはわかります。

 

だからと言って、「パパ~」と子どもが呼びかけているのに、「なに~?」と言いつつもスマホの画面を見たままなんて、どれだけ悲しいことでしょうか。

外で働いている人であれば、対仕事として取引先の人がいる前ではそんなこと絶対しないでしょうに、どうして子どもの前だとついついやってしまうのでしょうか。

「俺だって、私だってがんばってるんだから、少しぐらい息抜きをしなきゃつぶれてしまう」

その気持ちだってわかります。

我が家は僕が早い時間に仕事から帰宅できるので、夫婦育児ができているほうで、まだ幾分か余裕があるでしょう。子どもも一人だけですし。

そんないろいろな思いがありつつも、親が子どもに対して思う根底の願いは、「健康で無事に育ってほしい」というものです。

 

生きていくためにお金は稼がないといけなくて、家も掃除しなきゃいけなくて、洗濯物もしないと着る服がなくなるし、料理もしてご飯を食べないと生きられません。

この世の中は、ただ呼吸しているだけでやらなきゃいけないことが無数にあります。

 

大変ですよね。

そんなやらなきゃいけないことがわんさかある中に、わがまま言いたい放題やりたいことできなきゃ泣いちゃうちっちゃな王様や女王様が誕生するわけですから、さらに大変になるのは当たり前です。

それなのに、何をやってもかわいいと思い、成長する姿を見ているだけで幸せで、なんともいえない瞬間があるのが育児ですよね。

 

言葉が悪いですが、「自分自身自由に生きたい」と「子どもが健康に無事に成長してほしい」を天秤にかけたなら、まともな親であれば「子どもの健康と成長」を願います。

もし子どもが病気にかかってしまい、自分の右腕を差し出さなければ治らないといわれたら、迷うことなく差し出すでしょう。

冷静になって考えたら、きっとみんな子どもへの愛情であふれていることに気づきます。

 

心を育てることがどういうことか、ゴムまりにたとえた話があります。

両親からの愛情を一心に受けて育った心とは、ゴムまりのボールがいっぱいに膨らんだ状態です。

子どもが自分の人生を歩んでいく中で、いろんな逆境に遭遇したり試練が待ち受けています。

友達とうまくいかなかったり、目指してたものに夢やぶれてしまったり。

でも、ボールがいっぱいに膨らんだ心を持っている子どもは、そういった外からの圧力がかかっても、ポーンと跳ねて受け流すことができるというものです。

どんなときもしっかり前を向いて歩いていける状態です。

一方、ゴムまりのボールが十分に膨らんでいない子どもは、外から力をかけられるとベコッとへこんでしまい、受け流すことができません。

どちらがよいかなど考えるまでもなく、子どもの心を育てるとはこういうことです。

ひいては、家族の調和をはかることです。

 

一緒に絵本を読んだり、

一緒にテレビを見たり、

一緒に折り紙をしたり、

一緒に子守唄をうたいながら眠りについたり、

パパママと一緒にたくさんの時間を過ごし、お互いに向き合えることが、どれだけ子どもにとって幸せか、想像すれば頭にイメージが浮かんできますよね。

 

子どもの成長を気にするのであれば、結局はしっかり向き合って子どもの心を育てること(家族の調和をはかること)に目を向けて、そのための努力をすることで解決すると感じています。

子どもと対等の意識=子どものおかげで父親・母親にならせてもらったという意識

言葉で言うことも思うことも簡単ですが、やはりなかなか行動に移すことは難しいものです。

なので、フッと自分のことばかりを考える想いが出てきたときに思い出してほしいことがこれです。

 

ニョロ助が生まれてきてくれたおかげで、僕は父親にならせてもらいました。

妻は母親にならせてもらいました。

夫婦であり父親・母親であるという、子どもがいなければ絶対にできないかけがえのない経験をさせてもらってるわけです。

僕の人生観は、わが子が生まれてガラリと変わったのはまぎれもない事実で、自分だけの人生とは似ても似つかない道を歩んでいます。

 

この思いを忘れなければ、子どもの心を愛情でいっぱいに満たすための行動が何か、スッと理解できるのではないでしょうか。

ちょっと疲れてしまったり、つい冷たい行動になりそうなときは、この想いを忘れないようにしています。

人生をかけてやるべきことはどれだけ調和をはかるために自分を磨いていくか|まとめ

当たり前のことを言っているようで、誰もができることではないことを言っている気がします。

もちろん僕ができていると言いたいのではなく、どちらかというと僕もすぐに見失いそうになるので、日々反省する毎日です。

 

子どものことについてフォーカスしたことがほとんどでしたが、それと同等にパートナーへの想いを忘れてはいけません。

ついつい子ども優先にしてしまうばっかりに、妻や夫への対応や返答を適当にやりすごしてしまうなんてこともよくあります。

そう考えていくと、人生をかけてやるべきまず第一のことは、家族や子どもとの調和をはかるために努力し、自分を磨いていくことです。

 

社会で成功している影で、家庭内はボロボロ、もしくは子どもの悩みでいっぱいなんて人はごまんといるでしょう。

きっといろんなトライアンドエラーを繰り返し、少しずつ結果を出していったはずです。

なのに、それが家庭内になるとまったく機能しなくなるなんておかしな話。

 

社会の一番小さな構成単位は家族です。

その土台がしっかりできるように、自分の心を磨き夫婦の調和と家族の調和をはかれるように努力していきたいですね。

それが子どもの成長と幸せに、直結するものだと信じてやみません。

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