結婚しても唯一忘れられないのはあれでもこれでもない!ワーホリで行ったオーストラリアの旅だ!

たまたま海外の話しになって「実は僕、オーストラリアに行ってたことあるんですよ~」って言うと、なぜか「えぇNon太が?!」みたいに驚かれます。

そんなに僕は海外で生活してなさそうに見えるのでしょうか…Σ(゚д゚lll)チーン

どうもNon太(@LoveWifeLives)です!

 

とりあえずで行ってみたオーストラリアへのワーキングホリデー、もう8年ぐらい前の話ですが…。

ワーホリに行きたいと情報を収集していた頃は、自然と自分の周りにも同じような人が集まりやすく、そんな意識の人たちと良く出会っていた気がします。

でも日本に帰ってきてからは、「ワーホリに行きたいんだよー!」と言っている人にめっきり出会わなくなりました。

 

そんなある日(と言っても半年以上前の話だけど)、久しぶりに「ワーホリに行きたい!と思ってるんですよね~」という若者に出会ったんです。

  • とりあえずでも日本を離れて色々と視野を広めたい
  • オーストラリアに行けば、何かしら少しでも変わる気がする
  • 英語は話せない…でも行ってみたい!

そんな想いを持っているように感じられる熱い子でした。

 

「何も考えを持たずに行くだけじゃ何も変わらないぜ!」と思う人もいるでしょうが、実際にワーホリに行った人の中でも、たくさんの人がこんな気持ちから始まっています。

そしてドキドキの中現地に入り、普通に日本で住んでるだけじゃ経験できないような体験をして、旅行に来ただけでは感じられない想いを発見し、次のステップへと繋げていった人をたくさん見てきました。

最初に住んだシェアハウス

ワーキングホリデーで海外へと行くメリットの一つは、時間に縛られずに滞在できることです。(基本的には1年という期限はありますが、旅行などと比べると圧倒的に期間が長いという意味)

非日常であるはずの海外生活を長い期間過ごすことで、どんどんその生活が日常に変わっていき、その結果大きな価値観の変化を感じられるようになっていくわけです。

この辺りが旅行で海外へ行くこととワーホリで海外に行くことの一番の違いかもしれません。

 

そんな漠然とでも変化を求め、夢を持って進もうかなと思っている彼。

その彼がこの記事を読んでくれるのかは分かりません。というか、偶然出会って話しただけなので今後会う術はないから恐らく読まれないでしょう。w

でも、僕が出会った彼と同じように、ワーホリでオーストラリアに行ってみようかな?なんて、ふんわりとでも思っている人はたくさんいるはずです。

8年前、自分がワーホリに行ってみたいなと思った時、

  • ワーホリってどんなんやろ?
  • 英語って話せるようになるんかな?
  • オーストラリアのワーホリっていいんかな?
  • 1年後の自分はどうなっているんだろう

こんな風に色んな想いが駆け巡ったことを思い出します。

 

漠然とでもふんわりとでも、ワーホリでオーストラリアに行ってみたい!なんて思っている人には、声を大にして

行ってみろ!

と言いたいわけです。

 

今の僕はというと、世界で一番大好きな女性と巡り合えて結婚も出来て、あと少しもすれば子供も産まれるという、家族を持って幸せだと感じる日々を過ごしています。

幸せだと断言できるのにそれでも忘れられない、願わくばもう一度経験したいとさえ思う事がたった一つだけあるんです。

それは、昔付き合った女の子のことでもなければ、あんなことやこんなことでもありません。

 

ワーホリでオーストラリアで過ごしたことです。

 

それぐらいに言葉では語れない素晴らしい1年だったと、僕の心の記憶と写真の記録に残っています。

 

僕が経験したことも、そんな人達にも少しは役に立つんじゃないか?(8年前の話だけど)

と思ったのも確かなので、自分がワーホリでオーストラリアに行った時の話をこれからたくさん綴っていくことにしました。

 

その第一弾として、今回は体験した数々な出来事の中から、ワーホリでこんな体験できたよ!というほんの一部をご紹介したいと思います。

結婚してもなお忘れらない程に、強烈な体験をいっぱいできるのがワーホリですよ!

圧倒的な密度の濃い一期一会を体験出来るぜ!

人生考えてみれば、一期一会だらけです。

名前も知らない誰かに優しくしてもらって、「ありがとう」「どういたしまして」の言葉を交わすだけでも、一期一会と言えばそうですし。

ワーホリで体験した一番の事と言えば、圧倒的に密度の濃い一期一会を体験できることです。

▼外人と言えどさすがに顔は隠しておく…

もうとにかく行った初めの頃は毎日が非日常で、パーティー三昧。

僕はどちらかというと「クレイジージャパニーズが来たぜー!」と言ってガンガン前に出られるタイプでした。

だからそうやって色んな人との交流を楽しめたんだろ!?と思われますが、リアルに違います。

(海外生活してるのに)さすがに全ての誘いを断って家に引きこもっているだけだと誰とも交流は持てませんが、人が集まる場にガンガン行くのが苦手!みたいな人でも、その考えや恥ずかしさはなくなります。

なぜなら、オーストラリア人は日本人がシャイで恥ずかしがり屋でといった日本人気質を良く分かってくれてるので(全員じゃないけどね)、それを含めて交流をしてくれる感があるからです。

確かにいつもなら「いやぁ、ちょっと…」って思いがちな場面でも、なぜか「外国に来た」という気持ちがいつもより勇気を奮い立たせてくれたりもします。

▼学校のメンバーとボーリングにも行ったり

左後ろから、ベネズエラ人、オーストラリア人、ギリシャ人、僕、ブラジル人、タイ人。

手前はサウジアラビア人、コロンビア人。

オーストラリアに来ても、サウジアラビアの女性は外を歩くときはこうやって顔を隠してるんですよ!

また違う機会に話しますが、僕は英語の学校のクラスがアドバンス(とかプレアドバンスだったかな)という上から二つ目ぐらいのクラスに昇級しました。(バリバリ英語でプレゼン的に感想とかを言わされまくる授業です)

英語を共通語にしてこんなに一度に各国の人間が集まるなんてことはそんなにないはずです。

当たり前で人種差別がどうだ、肌の色がどうだなんてひとつもなく、最高のクラスメイト達でした。

そして学校を卒業以来、彼らとは一度も会っていませんし連絡も取ってません。その瞬間を一緒に過ごした素晴らしい一期一会です。

 

こんな風にして1年間で出会った数千もの人たち。

数時間だけの出会いだった人もいれば、数日・数ヶ月と一緒に過ごすメンバーがいたり、兄弟同然の日々を過ごしたり。

ワーホリから帰ってきて8年経ちましたが、あれほど密度が濃く毎日色んな人と関わって生きた記憶はありません。

それぐらいに濃度500%の一期一会を体験できます。

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日本人の出来るだけいないところで?いやいや、素敵な友達が出来るのも醍醐味だから!

現地で出会った日本人3人でツアーに行った時

せっかくオーストラリアに来たんだから、日本人とは出来る限り交流はせずに英語環境に身を置きたい!

そう思う人はいっぱいいます。

僕だって行った最初の頃はそう思ってました。

でも、ギリギリのギリギリで一番に助けてくれたのは日本人だったわけですよ。(あくまで僕の場合)

結局のところ、色んな国の人たちとワイワイ遊んだリ騒いだりするのも楽しいですが、日本人と一緒にいても楽しいものなんでよね。

英語を学びに来たんじゃないの?と言われそうですが、英語を学ぶためだ!とストイックに日本人との交流を避けて、英語にいそしむのも一つの方法ですが、僕はそんなことしなくても英語喋れるようになるで!って言いたいですから。

ちなみに、メルボルンという街で、ワーホリで出会いカップルになった日本人カップルと2ヶ月シェアハウスで一緒に過ごしたことがあります。

自分が住んでたシェアハウスに2人はやってきたんです。

その二人は日本に帰国後めでたく結婚し、今では僕の住んでる街の隣町に住んでいるという、なんとも不思議な縁があったりもします。

異国の地で出会う同国籍の人との出会いも素敵だと思える方が楽しいです。

英語話せるようになったよマジで!

時給8ドルぐらいの激安で働いたカーウォッシュ店

遊んでばっかりの説明をした気がするので、ここからちょっと英語の話しも。

さっきも言ったように、僕は地味に英語が話せるようになりました。(今はガチで無理…)

ワーホリ生活の後半では、クラスメイトと学校帰りにスタバで2時間お茶して帰るなんてことも余裕で出来ていましたから。

もちろん会話は英語オンリーです。

 

じゃあどうやって英語を話せるようになったか。それは、

たまたま日本人一人の環境で5ヶ月過ごせたから

だと思います。

さっきと言っていること矛盾してるやん!となりそうですが、実際僕はたまたま日本語を話す人がいない環境で過ごせていたからか、その環境を抜けた時、メッチャ英語喋れるようになってるやん!を実感しました。

 

オーストラリアにはファームジョブと言って、農業系の仕事を約3ヶ月行えばセカンドビザという2年目のワーキングホリデーが出来るシステムがあります。

僕もセカンドビザを取得するためにファームジョブに向かったわけですが、そこがたまたま日本人ゼロの環境だったわけです。

プラスそこに、イギリスとかスコットランドとか英語がネイティブの人たちもたくさんいたのも要因の一つと言えるかもしれません。

ちょうど2009年ごろはサッカーの中村俊輔選手がスコットランドのセルティックというチームでプレーしていたため、スコットランド人からすると日本人は馴染み深く、良く絡んでました。

この辺みんなスコティッシュ

持ってきていた(らしい)セルティックのユニフォームを着て、中村俊輔選手の真似をさせられたりも…(顔が似てるからと言われたw)

 

ちなみに汚いですが「F**K」という言葉が、現地では日常的に「very」という意味で使われていることを知ったのもこの時。

みんな「F**KIN GOOD」=「めっちゃいいやん!」という意味で使ってるんです。

そうやって覚えた英語なので、僕は会話は出来るけどリスニングもメチャクチャ、ビジネス英語はほぼ不可能、でもスピーキング力だけはあるという、日本人には珍しい?パターンの英語の出来栄えでした。

でも、日本で良くあるネイティブに学ぶ英語学校なんかじゃなく、普通の生活でネイティブと絡むキッカケがあってコミュニケーションを取る努力をすれば、3ヶ月あれば一通りは話せるようになるはずです。

結構頑張らないとダメですが。

僕は結局5ヶ月滞在したので、飛躍的に英語力が上がりました!

ファームジョブ、環境さえ良ければ最高だぜ!

僕が行ったのはイニスフェイル(Innisfail)という街でのファームジョブ。バナナの農場がたくさんありました。

オーストラリアのファームジョブでここ以外は全く知らないけど、ホントにおすすめの場所です。

▼Google Mapから拾ってきた泊まっていたバッパー前

静かそうな昼間なのに…

▼それが金曜日の夜にはこんな場に変わるわけです。

▲モザイクにするの面倒くさくなったからもういいかな。日本人は僕一人だし。

といった風に、このバッパーは街の中で一番環境が悪いと言われ(ベッドバグという虫が出やすかった)、さらに一番劣悪と言われる8人部屋の重鎮として5ヶ月を過ごしたわけです。

このへんのところは、確実に向き不向きもある気がしますが、アジア以外の人と臆することなくコミュニケーションが取れる人(会話は出来なくても大丈夫)は、間違いなく最高の時間を過ごせるはずです。

楽しかった思い出以外に手に入れたもの

世界的に有名なグレートオーシャンロード

僕は今の妻と付き合っている時にオーストラリアに来ました。

セカンドビザという2年目のオーストラリア滞在をするつもりでしたが、遠距離という色々な問題もあったので2年目は諦めました。

だから余計にオーストラリアのことを思い出すのかもしれません。

実際結婚して一緒に暮らせてもいるので、後悔とかはないけど。

 

日本に帰国してからは英語の仕事に就くこともなく、携わることもないままに時間が過ぎたため、何か手元に残ったものというと特にありません…。。。_| ̄|○

今考えると、この英語が話せた特技を生かすべきだったと思わなくもないですが、仕方ないかなと。w

でもその代わり、体験という誰にも代えられない経験を得られたのは事実。

目に見えたもので繋がっているのが分からなくても、僕には良い経験でした。

8年経っても、今後10、20年経っても恐らく色褪せることなく記憶に残るのは、このオーストラリアでの旅なんだろうなって思います。

有名なキュランダ鉄道

忘れられないオーストラリアの旅 / まとめ

久しぶりにオーストラリアに行きたい病が再燃してしまったので、思わず記事にしてしまいました。

長くなったけど、オーストラリアで過ごした1年はこの5,000文字では到底語りつくせないもの。

なので、ワーキングホリデーというカテゴリーも新たに作ったわけなので、ワーホリシリーズとして今後不定期に過去の記憶や情報を発信していこうと思います。

あと10年以内ぐらいに、おっさん一人旅でもオーストラリアを旅する予定(仮)

ワーホリ行きたい!って思った人は行った方が良いですよ!個人的には。

ミソジーズ(30歳を超えた人)は行きたくてもビザが取れないため行けませんので。。。

では!

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