結婚して子育てを始めて出来なくなったことは数知れず。それでも一人の時より何億倍もの幸せを感じる

写真は実家の近所にある神社の紅葉です。

どうも!妻と子供と家で一緒にのんびりするのが大好きなNon太(@LoveWifeLives)です。

僕は結婚して4年目、妻とは付き合ってからだと約10年目になります。

今年にはこのブログではニョロ助と命名している、可愛くて可愛くて仕方のない子供もやってきてくれました。

あわただしく過ぎていく中で、それでも毎日が楽しくて幸せで、本当にありがたい限り。

 

でも、そうは言っても、結婚をしてから出来なくなったこと、子供が生まれてさらに出来なくなったことを数えてみると、数えきれない程にあります。

いつでも身軽に行動出来て、誰かのことを気に掛ける必要がない、という独身の友人と比べると、圧倒的に出来ないことの方が多くなりました。

それでも1人で身軽でいられた独身時代よりも、何倍といわず何億倍もの幸せを感じています。

今回はなぜ自分はそう思えているのか、振り返って考えてみました。

結婚して子供が生まれ出来なくなったことが増えたのは事実

実家でくつろぐニョロ助

結婚するまでの僕はと言うと、お気に入りの服を見つければ即買い。

美味しいご飯の噂を聞きつければ、探して食べに行く。

楽しそうなスポットがあれば出かけて、時間さえ取れれば自由に行動してきました。

でも、結婚してからはというと、お小遣い制になったことも重なって使えるお金も自由ではなくなったし、妻と一緒に生活をするようになったので、何でも自分だけで決めて行動することは難しくなりました。

特に、経済的な何かをするとなった場合は、常に値段との戦いです。

そして九分九厘負けます。

 

BEAMSやジャーナルスタンダードで買ってた服は、楽天ショッピングで格安で売られている服を選ぶようになり、いつしか今の服でも十分着られるから買う必要もないなとなりました。

ちょっとこじゃれたダイニングや有名なホテルのビュッフェなどに行ってた食事は、弁当屋さんの安いお弁当になり、いつしか家でご飯を炊いて妻と一緒に向かい合って食べられれば安いしそれが一番美味しい、となりました。

新しく出来た観光スポットや面白スポットを見つければ、友人たちとすぐに出かけては散財していたはずが、もう少しお金に余裕を持てた時に行こうと思うようになり、いつしか家族みんなで楽しめる場所ならどこでも楽しいよね、となりました。

 

このように、どんどんと考え方は変わっていきましたが、独身時代には出来ていて結婚してから出来なくなったことだけに目を向けると、それこそいくらでも出てきてしまうほどにあります。

妻と2人の生活の時でこれだったので、子供が生まれてからはというと加速度的に増えました

 

我が家は決して裕福で余裕のある家ではないので、常に節約と隣り合わせの生活です。

使える(稼いでいる)お金は増えていないのに、買わなきゃいけないモノは増える一方なので、さらにお金のやり繰りが必要になりました。

結果、独身時代に出来ていたことは、さらにするのが難しくなったのは事実です。

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出来なくなることが増えたと感じた時に気付くべきこと

かなり前の話ですが、以前の勤め先の取引会社の社員さんが、僕が結婚することが決まったことを報告した時にこんなことを言っていました。

よく言われますけど、結婚は本当に墓場ですよー!

今の間に、どれだけ嫁さんに隠して自分でこっそり使えるお金を蓄えとくかが勝負ですから!

結婚して財布を握られてしまったら、もう自由には何も出来なくなりますからね。

それまでに頑張って貯めてください!

僕は苦笑するしかありませんでした。

 

結婚すると出来ないことが増える

これは独身時代に気軽に出来ていたことにフォーカスすると、そうだなと思います。

そんなことに縛られるくらいなら、自由に一人で過ごす方がどれだけ楽しいかと考える人もいるはずです。

僕自身はそういった考え方ではないので、「出来ないことが増えた」ことは感じるものの、その事実に直面した時には、気付かないといけない事、があることにも気付きました。

それは、全て自分のことだけを考え、自分を最優先に考えて出てきている事、ということです。

 

オシャレな服を買いたいも、豪華なご飯を食べたいも、旅行やどこかに出かけて遊びたいも、全部自分自身が対象のこと。

自分に関する事柄ばかりで、そこには相手に想いを馳せる気持ちや考えは一つもありません。

 

こう言うと、

  • 人生一度きりなんだから、自分が楽しめることを一番に考えて生きなきゃ損だろ!
  • 結婚したからって何もかも犠牲にしなきゃいけないなんておかしい!

そんな風に考える人もいるかもしれません。

出来なくなることが増えることと、犠牲にするということとは少し違いますが。

 

もちろんそれはそれで人の考えなので、色んな生き方があると思います。

そんな意見とは真逆になってしまいますが、それでも気付かなきゃいけないことは、「自分本位の視点で考えてしまっている」ということです。

気付き始めたなら、頑張って実践する

急におすわりを覚えたニョロ助

僕は妻のおかげで色んな心境の変化を体験し、今こうしてLove Wife Lifeというブログを続け、夫婦のことを話せるまでになっています。

妻がいなければ僕は…間違いなく廃人まっしぐらだったでしょう。

でも、こういう気持ちに気付き始め、ほんの少しでも実践しようと心掛け始めてから、「結婚したら出来ないことが増える」ことには意識が向かなくなり、ただ何気なく家族で暮らせていることも、素晴しく幸せだなと思うことばかりになりました。

 

これがもし、自分のことばかりに意識を向け毎日を過ごしていたなら、「出来ないことばっかりで…」なんて風に感じる日々があったかもしれません。

気付くことから意識改革は始まるので大事なことですが、気付けたなら頑張って実践することが大切です。

「言うは易く行うは難し」というように、思ってもなかなかできないのが人というもの。

それをうまく語ってくれていた文を見つけたので、ここでご紹介しておきます。

公園などで、子供達だけが遊んでいて、親が離れてベンチに座っているような光景をよく目にします。

お子さんがお母さんを呼んでも、子供達と一緒に遊ぼうとされない、そのようなお母さん方が大変多いように思います。

それは、どうしてでしょうか。

如何なる母も、我が子を愛さない母はおられないはずです。

どの方も溢れるほどの愛を差し上げたいとお思いになっておられるに違いないのです。

しかし愛は、思った通り限り無く降る星のように差し上げることはできないのです。

何故でしょうか。

それは、お母さんにも「自我」という意識があるからです。

「自分中心」という心が、しっかりと心の中に居座っているからなのです。

この幼い時からの「自我」という心(自分中心の思い)が、年とともに大きく成長し、善なる心(良心)を押しつぶそうとするのです。

母として、子供を抱きしめたいと「善我」なる心が思っても、もう一方の「自我」という「偽我」の心が、貴方よりもお母さんこそ疲れたわ、私こそ誰かに抱きしめて欲しいわ。

慰めて欲しい、等と叫ぶのです。

そしてこの二つの心の衝突により、善なる心が偽我に負けてしまい、ついついその溢れるほどの愛を我が愛する子に差し上げたいという思いが消え去っていくのです。

その母の心が未熟で幼い限り、その子は、母の愛をいただくことはできません。

そしてその子は苦しい一生を過ごしていくのです。

やがて、その子も母親となり、やはり愛する我が子に愛を差し上げることが出来ない侭、またその子も苦しんでいくのです。

この一節を読んで、「自分本位な心」がこうやって影響するのかと、ものすごく腑に落ちたものでした。

 

ありがたいことに、妻は自分のことより僕のこと、そして子供のこと、を最優先に考える力を持った愛情深い人だったようです。

今は特に、ニョロ助へ向く気持ちを見ていると、なおさらそう思えることが幾度となくあります。

そんな妻を、結婚する前の付き合っている時からたくさん見ていたので、僕も少しずつ気付くことが出来、少しずつ実践できるようになっているのだろうと思います。

 

気付き始めたなら、「自分のことばかり」の心を変えていく実践が必要なんです。

意識していてもすぐに「自我」が顔を出してしまうので、それをはねのけていく勇気と実践が必要なんです。

愛情をたくさんもらった分、たくさん与えられる人でありたい

僕もお金はあるに越したことはないし、節約なんかせずに自由に使えると楽だなーと、思ったことは何度もあります。

そう感じることはありつつも不思議だったのは、『お金がないと生活出来ないという一方で、どうして世の中でこれほどまでに、「愛」についての議論が行われ、「愛は大切」だと言われるのか?』でした。

お金があれば生きていけて、自分のやりたいことをやりたいようにして、自由にして生きることが人生の全てなら、愛だとか愛情だとか、そんな話が世の中で出てこなくても良いじゃないか、ということです。

ビジネスや成功ややりがいや生きがい、といったことだけでいいじゃないかと。

でも、そんな時でも愛や愛情の話が出てくるというのは、人が生きていく上で磨いていかなきゃいけないことだからです。

 

そんなことを考え意識して実践していたら、「一人の時に出来てたことが結婚してから出来なくなった」なんてことには意識が向かず、一人の時より何倍どころか何億倍も幸せで溢れていることに気付けました。

きっと僕がありがたい毎日を過ごせているのは、こういうことからだと思います。

今までたくさん自分のことばかりを考えた生き方で、親にも妻にもたくさん愛情をもらってきた僕です。

まずは身近な、当たり前ですが家族から、たくさん愛情深い心を伝えていきたいと思います。

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