新年の目標を掲げ今年こそ目標を達成する!と意気込む前に、まずは自己責任の意識と自己抑制力をつけよう!

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皆さま明けましておめでとうございます。

ついに2016年が始まりました。年末年始は仕事で全く新年ムードを迎えられなかった人もいれば、海外などで優雅に年越しを行った人もいるでしょう。

どちらにしても、新年を迎えることで新しく目標を掲げ、今年こそ達成する!と意気込んでいる人も多くいると思います。

では、新年に掲げた目標は、その年の終わりに一体どれくらいの人が達成できたと言えるのでしょうか?

禁煙する! ダイエットする! 起業する! 行動する! 売上を●●●万円上げる! …etc 様々な目標を掲げる人がいるにも関わらず、結局達成できないままに1年が終わってしまったという人がどれほど多いことか…。

世の中には、上記のように「漠然とした目標になるから達成できないんだ! もっと具体的に目標を考えよう」ということが言われます。

例えば、目標を「ダイエットする」ということにした場合、

  • なぜダイエットしたいのか?
  • どんなことでダイエットしたいのか?
  • いつまでにダイエットしたいのか?
  • ダイエットをしてどうなりたいのか?

といったことを具体的に練り、いつまで?ということを決めたら後は逆算して日々の目標を作っていくということをすれば、目標達成は近づくと言われています。

確かにそういうイメージが出来れば、目標を達成するために邁進することも出来るかもしれません。

ですが、そもそも具体的なイメージが出来たとしても、それらを行動に移すには自己抑制力を伴わないと行動することができません。そして、その行動を取るかどうかは全て自己責任の上で行わない限り、何も変化が生まれないんです。

このことに気付いているか、無意識のうちに行っているかでは大いに違ってくると思います。

僕はサラリーマン時代から何となくこういったイメージを持っているつもりでしたが、会社を辞めてフリーとしての立場になり、より一層自己責任と自己抑制力の意味を痛感することになりました。

新年一発目のブログ記事ともなりますので、自分への戒めも込めて、自己責任と自己抑制力が目標達成に不可欠であることをお話ししたいと思います。

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自己責任であることを素直に認めた時に心は軽くなる

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「自己責任」とは、巷でも良く言われるフレーズだと思います。

Wikipediaで「自己責任」を見てみると、

辞書の定義では自分の行動には自分に責任が存在することや、自身の行動による過失の場合にのみ自身が責任を負うこととなっている。

となっていますが、僕の捉える自己責任とちょこっと違います。

もちろん「全ての行動は、全て自己責任」であることは間違いないのですが、「自己責任」ということを強引に心に押し付けると、人はそこからまた恨みや不満が発生してしまいます。

例えばのお話しとして、今の僕の状況をお話しします。

昨年の9月末で仕事を辞めました。会社は世の中で言われているような典型的なブラック企業であり、常々辞めたいと思っていました。ここで一生を終えるぐらいだったら自分の可能性にかけたい!と思って退社したのです。

辞めると告げた時も会社からは引き止められ、ありがたいことにいろんな取引先からも声をかけてもらい、仕事を辞めた後も仕事のオファーが会社を通してではなく個人として依頼が来るほどでした。(全て断りましたが)

そして今、退職して得られたものは数知れずありますが、一方で退職したからこそ出てくる様々な不安(お金や今後のこと)と闘っています。

ここで出てくるのは、「会社を退職したのは自分で決めた事! だから今の状況になっているのも全て自己責任!」という想いです。

ですが、この「自己責任」を強引に心に押し付けた場合、後に続く言葉は、「あの社長がクソじゃなければ会社を辞めることもなかったのに! そうすればこんな不安になることはなかったのに!」という不満ばかり。

このままでは、自己責任をうまくとらえているとは言えませんね。だから、苦しくて恨みや不満で心が覆われてしまいます。

では、「自己責任」を素直に認めた場合はどうなるかと言うと、「会社を退職したのは自分で決めた事! だから今の状況になっているのも全て自己責任!」ここまでは一緒です。

そして、「ああいう行動を取れば、人がどんな気持ちになるかも理解できた。人が離れていくということも(←自分が辞めたから)、そして今の不安もそんな気持ちを理解させるためになった状況なんだな、ありがとう。」と。

「自己責任」を強引に心に押し付けた後に出てくる感情は「恨み・不満」です。素直に心に認めた時の感情は、「理解・感謝」なんです。

今は本気で、僕が辞めたことで以前勤めていた会社の方針や考え方が変わったらいいなと思うし、そこで働いている人たちがもっとイキイキと働けるような環境になったらいいなと思っています。

ここでまた、「辞め損」というように、そんな環境になるんだったら辞めなかったのに!辞めて損した!という感情が出てくるのでは、まだまだいけません。

そんなことはどうでも良くて、少しでも相手の心が変化していっているのであれば本望でしょう。自分もそのおかげでたくさんの心の迷いや揺れ、さらには感謝の気持ちなどを持てたわけですから。

「人のせいにしない! 自己責任の上で行動する」という真意は、「行動を取るに至った経緯を理解し、その経緯にも起こった状況にも感謝して行動していく」ということだと思っています。

そんな気持ちでいられると、メチャメチャ心が軽くなります。

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自己抑制とは単なる我慢ではない!

株式会社カムラックさんからお借りしました。

株式会社カムラックさんからお借りしました。

「自己抑制」という言葉を辞書で調べてみると、

我慢すること。欲望や感情などを抑制して制御するさま。

weblio辞書より引用

と書かれています。自己抑制力という言葉の意味は、読んで字のごとく「我慢する力」ということになりますね。

確かに言葉としては間違いではないのですが、意味合いにおいては自己抑制と我慢では全くもって違うと思っています。

自己抑制と我慢の違いを例に出してお話しします。

サラリーマンだった頃、満員電車に揺られるのも朝から出勤するのもメチャクチャ嫌でした。それは誰でも一緒でしょう。では、なぜイヤイヤながらも決められた時間に朝から出勤できたのでしょうか?

それはイヤイヤながらも、出勤した対価としてお金(給料)が絶対に得られると分かっているからですね。(厳密には出勤して仕事をこなさないといけませんが)

イヤイヤながらも行動したり行動を規制したりして、その後に明確に対価が得られることが分かっている場合に、人は「我慢」という言葉を使って行動します。

では、自己を抑制する力、すなわち「自己抑制力」とは何なのかと言うと、それは「不確かな未来への投資」と言い換えられるべき力のことです。

ブログを開設して収益をあげたいと思ったことを例に出してみましょう。

ブログで収益を上げるためには、とにもかくにも記事を書かないと始まりません。

そして記事を書くためには、記事を書く時間を確保しなければなりません。そこで、ここでは記事を書くための時間を確保するために、テレビを見ることを我慢したとします。

ということは、テレビを見ることを我慢して得られる対価は、記事を書く時間の確保だけです。テレビを我慢したからと言って記事が出来上がるわけではありません。

そうなんです。我慢して得られるものというのは、その我慢の大きさに比例した対価しか得られないということなんです。

ようするに、記事を書くために行うことが、自己抑制力を持って行うことになるわけです。

記事を書くためには何が必要でしょうか?

これは人によって様々ですが、情報を収集することが必要な場合もありますし、記事の書き方を学ぶ必要がある場合もあります。

そのためにはまた時間を割かないといけません。でも、ここでは我慢ではなく自己抑制力によって時間を捻出するという言い方になります。

記事を書くまでの流れはと言うと、

記事を書きたい!記事の書き方を学ばないといけない読書をして学ぼう読書する時間が必要テレビを見る時間を読書する時間に費やそう⇒記事が書けるようになった!

という構図になるわけです。(本当は、まず何も考えずに記事を書こう!というのが大前提ですが、ここでは除外してお話しします。)

でも記事を書いたからと言って、絶対に対価(お金)が得られるという確証はありません。

読書をして勉強することも記事を書く時間を割くことも、まさしく「不確かな未来への投資」ですよね。

この行動をしたからと言って必ず見返りが来る!とは分からないけど、それでもその未来を信じてイメージして行動する。

人は必ず魔が差しそうになりますからね。「記事を書いたからってお金になるか分からないし、それだったら今の仕事だけ我慢して飲みに行ってる方が楽しい!」といった風に。

そういった衝動を抑えて行動するためには、自己抑制力が強くなければ何も始まらないわけです。

自己抑制力を持って行動することが、我慢とは違うことが何となくでも理解して頂けたと思います。

自己責任と自己抑制力の関係

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自己責任についても、自己抑制力についてもなんとなくでも理解してもらえたなら、次に大切なのが自己責任と自己抑制力の関係です。

自分を律して、自己抑制力を持って行動した。全て自己責任の上で行動した。ここまでは何ら問題ありません。

でも、もし何ヶ月も行動してきたにも関わらず、自分が想像していた未来が来なかった場合、ようするに行動することが「不確かな未来への投資」のはずで、少しずつでも上昇していくと思っていたから起こしていた行動にも関わらず、一向に上がらずむしろ暴落してしまった場合です。

自己抑制する力が大きければ大きいほど、長ければ長いほど、想像していた未来が訪れない時に出てくるのが「自己責任の上でとった行動だから…」という重責です。

自分の判断で、誰かを頼るわけじゃなく誰かの責任にも出来ない中で取った行動ですから、誰かのせいには出来ません。

でもこの「自己責任の上でとった行動」という重責を強引に心に押し付けようとすると、重箱の隅をつつくように、ふとした「恨み・不満」が出てきてしまいます。

「あいつのふとしたアドバイスを選択した俺が悪かった…」←自分で選択したかのようですが、「あいつのアドバイス」が悪かったから、という風に聞こえます。

「あそこであの場所に行かなかったらあんな無駄なアドバイスは参考にしなかったのに、自分があそこに行ってしまったことが間違いだった…自己責任だなぁ…」←もはや自己責任という主旨がずれてます。笑

ここで思い出してほしいのは、自己責任の上で行動したことを認める「理解・感謝」であり、自己抑制力による行動は「不確かな未来への投資」であるということ。

もし分からなければ、はじめから読み直してください。

自己責任と自己抑制力は、切っても切れない隣り合わせの関係であると同時に、常にバランスを保っておかないと、どちらかが強くなればバランスが壊れてしまうんです。

自己責任と自己抑制力 / まとめ

何を偉そうに言っているんだと思われるかもしれませんが、自分への戒めの気持ちを込めて書きました。

僕自身が極めているということではなく、こういう気持ちを持って日々を過ごしていこうという2016年の目標の1つでもあります。

特に起業したりフリーランスと呼ばれる人の場合、なんの行動を起こしても誰かに怒られるわけではないし、毎日寝てても何も言われないわけです。

でも、日本では呼吸をするだけで税金がかかる国ですから、生きるためにもお金は必要なわけです。

我慢の対価としての給料がもらえなくなった人たちは、自己抑制力を持って行動していかないといずれ淘汰されるに違いありません。

でも、少し物事がうまくいかなかったからと言って、自己責任という意味をはき違えてもいけません。

目標を掲げることも大切ですし、それを達成するために行動することも大切です。

その中で、うまくバランスを保ちながら、自己抑制力を持って、自己責任の上で行動していければいいなと思います。

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