人を許すという行動が出来れば、あなたの心はきっともっと軽くなる!

最近穏やかな毎日を過ごしたくて仕方がないNon太(@LoveWifeLives)です。

さてさて、

あなたは人を許す派ですか?

それとも断固として許さない派ですか?

今までの自分を考えてみると、相手に反省する姿勢が見えたら許すことはあったけど、その姿が見られなければ徹底的に成敗してやろうといきがっていたタイプです。

でもその考え方はもう辞めました。

いや、正確にはそんな行動を辞められるよう努力してると言った方がいいかもしれません。

僕の今の考えは、【全て許す】をテーマに据えています。(もちろんこれが非常に難しい話なんですけどね…)

誰だって間違いは犯すしミスもします。

そして、その度にイライラや怒りの心を持つことってしんどいと思いませんか?

本当は誰だって怒りたくもないはずなのに、なかなか人を許せなくてイライラしてしまう人ってたくさんいますよね。

人を許すことを身に付けることが、心穏やかに過ごせる一歩になるというお話しをしたいと思います。

基本的に故意に失敗しようとする人はいない

誰だって失敗をすることはあります。

でも、基本的に故意に失敗しようとする人なんてそうそういないと思いませんか?

例えば、

  • 飲食店で提供されたご飯に虫が入っていた
  • オーダーしたものと違うものが出てきた
  • 購入した商品が1日使っただけで壊れる程の不良品だった
  • 順番待ちをしていたら、自分だけ順番に入っていなくて余計に待たされた

こういう状況を経験したことのある人はたくさんいるんじゃないでしょうか。

もちろん僕だってあります。

でも、ここでちょっと冷静になって考えてみてほしいんです。

もしあなたが逆の立場だった場合、

  • 飲食店で料理を提供する従業員だったとしたら
  • 商品を販売する店員だったとしたら
  • 順番を整理する業務をしている人だったとしたら

あなたはわざと料理に虫を入れたり、わざとオーダーを受けたものと違うものを渡したり、わざと不良品を販売しようとしたり、わざと順番を後ろにしてやろうとしたり。

そんな気持ちが1ミリでもわいてきますか?ということです。

世界は広いので不思議な人はいるかもしれませんが、僕が知る限りでは、故意にそんなことをしようとしている人と知り合ったことがありません。

そう、故意に失敗しようとする人なんて、まずもっていない。

逆になって考えれば分かるはずなのに、自分が被害を受ける側になった途端に、この大前提をみんな忘れすぎだと思うんですよね。

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理不尽な対応を受けた病院での話

最近僕自身に起こった出来事の一つをお話しします。

僕は慢性副鼻腔炎という病気を患っており、1年ほど前に手術をしました。

その後再度症状が勃発し、最終的には難治性副鼻腔炎と診断されたため、再度手術をすることが決まっています。

その手術を受けるまでにあった出来事です。

病院をたらいまわしにされた上に、さらにムダなお金を払うことになったというお話しです。

総合病院の紹介を受ける

いつも通っていた病院では入院を伴う手術は出来なかったため、大きな総合病院で診てもらわないといけないと言われました。

そのために、いつも通っていた病院から総合病院向けに紹介状を書いてもらうことになったんです。

この時に先生は、ホントはA病院が一番良いんだけど…と言いつつも、僕が住んでいる家から出来るだけ近いB病院を選んでくれました。

それは今後手術を受けた後も通いやすいようにという配慮を込めてだったと思われます。

そして僕はその紹介状を持って、紹介されたB病院へと足を運ぶのでした。

紹介された病院で受けた出来事

紹介状を受けた数日後、仕事が休みの日に病院へと向かいました。

いつも通っていた病院からは、紹介状の他に自分の病状やCTのデータが入ったCD-Rをもらっていたので、それを受付で渡しています。

町医者でも何十分も待つことがありますが、総合病院となるとさらにものすごい時間待たされることがあり、この時も受付してから1時間以上は待たされました。

そしてやっと診察を受けられる順番が来たと思ったら、開口一番その先生から衝撃の発言。

CD-Rとかのデータも持ってきてくれたんだけどね、この病院側ではそのデータが開けないからさ、もう一回CTを撮ってもらわないと診察出来ないのよね。

もう一回CT撮ってもらえるかな?

いやいやいやって話しですよね。

ちゃんといつも行っていた病院には紹介状の代金を(750円だったかな)払ってるんやけどー!と思ってしまいました。

CTって結構お金かかるはず…と思いつつ、聞きました。

Non太
えっ…と、そのCT代って自分で払わないといけないんですよね?

先生からは、鼻で笑うかのように「はい」と答えが返ってきました。

「何でやねん!」、と吠えたところで診察してもらわない限り何も前に進まないので、CTを受ける選択肢以外はありませんでした。

紹介された病院で受けた出来事_その2

CTを撮り直し、再度先生の診断を受けました。次に待っていたのも衝撃の事実でした。

言われた言葉はこんな感じ。

CT見たけど、左側のおでこのところに膿が溜まってるねー。

確かにこれだったら手術が必要かもしれないね。

細田先生(いつも行ってた病院)の紹介状に前頭洞拡大手術をおすすめするって書いてあったんやけど、ぶっちゃけ僕はその手術やったことないのよね。

自信あるか?って聞かれても、正直不安だし

おでこを切開してやる方法だったら僕でも出来ないことはないかもしれないけど、隣が脳やから間違ったら危ないことになるかもしれないからね。

おでこに傷が残ってもいいって言うなら出来るけど、まだ若いしそれはあんまりでしょ?

この手術にはかなりの技術がいるけど、技術がある人であれば鼻の穴から出来る手術でもあるからね。

A病院にかなりの技術を持った先生がいるからね、患者さんのことを考えるなら、僕はそこに行くのをおすすめしたいと思ってるけど。

行くなら紹介状書くけどどうする?

もう、「は?何言ってんねんこいつ!」ばりの気持ちにまたもや一瞬なってしまいました。

紹介を受けたから来たにも関わらず、データが開けないからとCTを撮らせてお金は取る、さらにCTを見てみたら不安なんで手術できませんと。

さらには最初にいつも行っていた病院が紹介したかったA病院を紹介するだとか言い出す始末。

さらに紹介状を書くって…。またその紹介状代も取られるやん…という心の声が聞こえてきます。

言葉にするのはグッとこらえ、もはやそれ以外の選択肢はないのでA病院への紹介状をもらい、B病院は後にしました。

もちろん1万円以上の診察代を払うことになり、診察にも1日がかりで時間を使いました。

最終的にA病院はメチャクチャ良かった!

これは余談ですが、結果的にA病院、というか診察を受けた先生はメチャクチャ素敵な人でした。

最初からA病院の紹介を受けていれば…と思いそうになりますが、まぁそれはいいやと思っています。

結果的には、A病院にたどり着けたので良かったんです。

どれだけ正論をふりかざして相手を成敗したとしても、心のモヤモヤは取れない!

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僕が最近経験したちょっと理不尽でイラッとする出来事でした。

もちろん僕は最初に紹介されたB病院に対しても、どの先生に対しても、怒りやイライラはもはやありません。

ちゃんと受け止め、今の現状に納得しています。

この件について例えばの話をしてみます。

もしB病院でCTを自費で撮らないといけないことに異論を言って、結果的に病院が負担することでCTを撮れるようになったとしましょう。

それで約1万円近い診察代が浮くことになります。ラッキーと言えばラッキーです。

でも、その代わりに心のモヤモヤはずっと取れないんじゃないかと思うんです

結果的にお金は得をしたけれど、何とも言えない心のモヤモヤは残り続けます。

僕は出来事が起こった時、一瞬いらだちや理不尽さを覚えましたが、「仕方がない」を理由にしたものの何とか飲み込みました。

そして許すというと上から目線で言葉が悪いですが、この件に関して何とも思わなくなった今、僕は満足しているわけです。

それがもし相手を成敗してやろうという気持ちで、正論かざして打ち負かしたとしても、得をするのはその時のお金ぐらいのもので心の晴れやかさを得ることは絶対に出来ません。

相手を打ち負かせたとしても、スッキリするどころかずっと尾を引いてしまうわけです。

僕の件で言っても、口には出さなかったものの、病院でイラッと思ったり感じたことを後で考えてみると、やっぱりなんかモヤモヤするわけです。

たったのこれだけでもそう感じました。

そう考えた時、一瞬のお金を失ったとしても、自分の心が健全に過ごせていることを考えたならば、僕のこの考えは間違っていないと確信しています。

お金がなければ生活出来ないこの時代だからこそ、想いのことを語っていきたい / まとめ

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人によっては、僕のこの考えを「甘い!」と一蹴するかもしれません。

悪いことは悪いと指摘していかないと、悪い人たちがなくならない!と。

確かにそれも一つの意見ですよね。

でも考えてみてください。

最近アメリカ大統領選挙が行われ、トランプ氏が当選しました。

それまでの選挙活動で、候補者であったヒラリー氏とトランプ氏の活動はどんなだったでしょうか?

相手を非難し罵倒し、どれだけ自分の方が良いかをアピールすることに終始していましたね。(もちろんイメージ戦略なんかも含めてるでしょうけど)

ヒラリー氏のメール問題(詳しくはググってね)や、トランプ氏のセクハラ問題(これもググってね)など、とにかく重箱の隅をつつくように悪いことをつつき合いまくりました。

こういった選挙活動は何十年も前から行われています。いや、もっと昔からでしょう。

このアメリカ大統領選は極端な話ですが、昔から人は人を非難してダメなものは消えてしまえ!と糾弾してきました。

確かにダメなものはダメなわけですが、もし「悪いことは正論で正していかないといけない!」ということが、人間が幸せにあるために世の中を正していくための方法なのであれば、今自分が住んでいる日本はおろか世界はもっと心の幸せで溢れているはずです

失敗した相手を、ミスした相手を罵倒する行動を取り続け、悪いことを正していくことで良い世の中になっているのであれば、もうそんな世の中が出来上がっていてもおかしくありませんよね。

はるか昔からそうやって行われてきた活動のはずなのに、向上しているのは便利な経済の話であって、人の心の向上には繋がっていないということです。

もちろんただただ全てを飲み込んで許せというのは難しいかもしれません。

お金がないと生きていけない世の中だからこそ、そのお金を損することになるかもしれない「人を許すという行為」を、なおさら難しくさせているのかなとも思ったりします。

でも、お金をめいっぱい稼ぐことが出来るスキルよりも、人を愛し人を許し受け入れていくスキルを身に付けることの方が何百倍も大切なはずです。

人を受け入れて許すこと

これが出来れば、あなたの心はもっと軽くなると思いますよ!

僕ももっともっと磨いていきたいものです。

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