妻と向かい合って話せる幸せを感じて思った「日常」と「非日常」

僕は今ぼっち生活をしています。

別居してるとかじゃなく、妻がもうすぐ出産を控えているため、里帰り出産で実家に帰省しているからです。

今までどれだけ僕の世話をしてくれていたのかを痛感しながら、最後の?一人暮らしを体験しています。

 

そんな生活を続けてはや1ヶ月。1人で住むには大きすぎる家に1人だと、やっぱり淋しいものは淋しいです。

もういつ赤ちゃんが生まれてもOKと言われている時期に入ったので程なくしたら赤ちゃんにも妻にも会えるというのに、妊婦健診に付き添うという名目で、仕事を休んで(ちゃんと有給取ってますが)妻のいる名古屋まで会いに行ってきました。

やっぱり向かい合って顔を合わせて話すことが出来るってものすごく幸せなことで、メチャクチャ大切だなぁと痛感した日になりました。

それと同時に日常と非日常の関係性に、ふと考えがよぎったのでそんなことも書いてます。

もちろん夫婦だけの話ではないですが、仕事が忙しかろうが育児に忙殺されてようが、お互いが顔を見て話せる時間はずっと作っていきたいですね。

テレビ電話でも写真でも感じ取れない空気感とぬくもり

結婚すると今後数十年は一緒にいるわけですから、その中での1ヶ月離れた生活なんて短いものです。

その昔、遠く離れている人の声を聞きたいと思っても叶わなかったことが、電話の発明で電波さえあればいつでもどこでも声が聞けるようになりました。

次に声が聞けるなら顔を見て話したいと思っても、過去に撮った写真を眺めるしか方法がなかったはずなのに、カメラを使ってテレビ電話が容易に出来るようになりました。

声も聞けて顔も見て話せる。素晴らしい時代になりましたよね。

 

妻が帰省して以来、ほぼ毎日電話をするしラインのやりとりは100%毎日しています。

これだけ便利な世の中になって、声も聞けて顔も見て話せる。それでも伝わらないものがあります。

写真はもちろん、電話やテレビ電話では伝えられないもの。

それは空気感とぬくもりです。

 

言葉で表現するのは難しいですが、例え何も話していなくても同じ空間にいると思えるだけで感じられる安堵感や、手をつないだり肌と肌が触れる人肌のぬくもりだったり。

この感覚はどうしても電話の声や画面の映像では感じ取れないものです。

会いに行って顔を合わせたことで、そんな気持ちがこみ上げてきました。

顔を合わせるってこんなにも安心するのかと…。

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日常というかけがえのない日々は、非日常から生まれる

僕が妻と出会ったのはもう10年近く前。時が経つのは早いものですね。

結婚してからはまだ3年ですが、妻と同じ家に住み同じ時間を生きている毎日は、僕にとっての「日常」です。

それが当たり前になっていて、なんの不思議もありません。

でも思い返してみると、自分の中で日常になるためには、まず「非日常」を経験しないと「日常」にすることはできないことに気付きました。

 

妻とまだ付き合ってもいない頃、僕の日常の中に妻(当時は彼女なので、以下彼女と表現します)はもちろんいません。

それから程なくして付き合うようになり、僕の世界に彼女が入ってきました。と言っても、まだ日常の中にいるわけじゃないので、彼女と過ごす日々は「非日常」の世界です。

毎日朝起きて働いて、疲れて帰ってきて寝る。そんな日常の中に、彼女と会って、彼女と出かけて、彼女と過ごすという1日が僕の中での非日常であり、楽しい瞬間だったわけです。

そして結婚し、彼女と過ごせるという「非日常」だった日々が毎日続くことで、いつしかそれは「日常」へと変わっていきました。

 

というように、非日常が毎日続いたり長く経験することで、それは日常へと変わっていきます。

逆説的に言えば、日常の日々は、非日常があったからこそ生まれるものなんです。

日常に安心感を覚え、でもありがたみを忘れた時に再び非日常を求め出す

人は常にある日々、すなわち「日常」に安心感を覚えます。

日常が続いている内はありがたみを忘れ、日常が無くなるとなぜ気付けなかったんだ…と後悔する。

何とも自分勝手な生き物ですよね。

 

毎日妻(夫)が隣にいてくれて、毎日一緒に過ごせるという日常がありがたい、そんな気持ちは忘れてしまう人がほとんどです。

妻(夫)となるまでに、日常と感じるまでに、幸せだと感じる非日常の日々を幾度となく経験して来たにも関わらず。

さらに日常になると極端に非日常のような刺激は少なくなることが多いので、そんなありがたみも忘れた頃、いつしかまた非日常を探し求めてしまう人がいるのも事実でしょう。

不倫がなくならないのなんて、まさしくこのスパイラルに違いありません。

 

結婚してパートナーがいる毎日が日常と感じている人は、100%そのパートナーと非日常の日々を過ごしてきた過程があるはずです。

そもそもそんな考えに及ばない人もたくさんいるでしょうが…。

でも、これを忘れちゃいけませんよね。

 

偶然にも僕は妻が里帰りしたことで、妻のいる日常がどれだけありがたかったかを思い知らされ、妻と過ごした1日にもものすごい非日常の幸せを感じました。

でも、妻のいる日常が早く戻ってきてー!

Non太
ニョロ君よ(我が家の赤ちゃんの呼び名)、パパママは準備万端だからいつでも産まれておいで~

と思わずにはいられない日々です。w

どんなに忙しくても顔を合わせて会話しよう / まとめ

夫婦であれ友達であれ、人と人との触れ合いというと月並みですが、やっぱり顔を合わせてちゃんと向かい合って話をする。

これって一番人間の付き合いの中で大切だと感じます。

結婚したとしても生活のため、子供が出来ても不自由なく育児が出来るため、というにはある程度のお金は必要です。

でも、お金を求めるがあまり想いを不在にした人間関係だと、方向としてちょっと違ってますよね。

 

例えどんなに忙しくても、例えお金がなくて苦しかったとしても、顔を合わせて話しをして想いを通わせる時間は何よりも大切です。

まだ育児はしてませんが、これは子供と接する考え方で見てもきっと同じなんだろうなと。

それが日常になり、日常の素晴らしさを忘れなければ、きっと温かい空気がそこには流れているんだろうなと思わずにはいられません。

 

と、産まれてからはどれだけ大変になると分かっていても、ニョロ君と妻との3人の生活が今から楽しみで仕方のない僕なのでした。

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