実績を積むのは人の上に立つためでも偉そうにするためでもない。人に伝えられる自分になるため!

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どうもNon太(@LoveWifeLives)です。

結果を出すことは仕事をしていく上でとても重要です。

野球で素振りを1億回やりました!と言っても、打率が0割だったら何にもならないし、営業会社で毎日誰よりも早く出勤してるからと言って、営業成績として1円も売れていなければ会社で評価はされません。

結果を出していくことは実績を積むことに繋がります。実績を積めば自信が出てくるでしょう、俺もやれば出来る!って。

自信が出てくれば…と、結果が出ることがキッカケでどんどんと良い方向に転びそうな気もしますが、実績を積むことの本質ってそういう自欲を満たすためだけのものであるべきではないと思います。

今日は「実績を積む」ことについてお話ししてみたいと思います。

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”実績”と”肩書”と”偉い”を混同してしまう悲劇

実績とは、実際に目で見たり数値で見たり、実際に誰もが認める成績のことを差しますよね。

営業会社に勤めていた人が、営業目標毎月100万円!と言われていたところ、1年間ずっと毎月1,000万円を達成したとすると、周りの人は「この人は実力も実績もすごい人だ」と言うようになります。

目標100万円に対して10倍の1,000万円の結果を出し続けたわけですからね。

実績を持つことは確実に自信に繋がります。

今まで自分がやってきたことが結果になって表れると、自分のしてきたことは間違いなかったと自信に満ち溢れるのも分かります。

結果を出せば実績となり、実績を持つことで自信に満ち溢れます。実績と自信が掛け合わされると人からの信用を得やすくなります。

ここで錯覚しやすいのは、信用を得てると言っても結果が出ていることに対して信用されているだけで、人という点で信用されているのではないということです。

さらにそのまま勘違いが進み人から信用を得られていると感じると、自分はものすごい肩書を持っていると錯覚し始めます。

そして最終的には「肩書がある人は偉い」という勘違いに陥ります。俺は偉いんだと。

挙句の果てには実績のない奴はクソ! そいつの肩書はどうなってるんだ? どれだけの結果を残せてるかが全て! 結果を残した奴が偉いんだ!

こんな風に混同してしまう人を何人も見てきましたし、そこにあこがれている人も何人もいました。

「実績を積む」ことは、こういうことであっては意味をなさないのです。要は、実績を積んだ後にどうしたいか、ということです。

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実績を積んで変わってもいい価値観と変わってはいけない価値観

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僕の友人の話しをします。

僕の大学時代の友人(以下T君)は、背も低く小太り、顔も格好いいとはお世辞にも言えない人です。

T君は大学生の時、3年まで通った挙句にこの大学は違う!ということで中退し、その同じ年に違う大学を受験し合格。

そこでまた大学生活を1年生から始めるというちょっと変わった友人なんです。

大学時代からT君は弁護士を目指していたため、大学を卒業後はそのまま大学院に進み、司法試験を受けるための勉強に励んでいました。

弁護士になるためには1年に1回しかない司法試験に合格しないといけません。司法試験の合格率は低いらしいので、なかなかの狭き門です。

来る年も来る年もT君は司法試験を受験するも不合格でした。そしていつしかT君は弁護士になるのを諦めました。

T君のお父さんはピアニストでした。

お金は持っていたけれども不安定な仕事だからということで、家を買うためのローンを組めなかったんだそうです。

だから、T君はローンが組みやすい仕事である公務員になることにしました。公務員として1年間働けばローンを組むための信用を得られるだろうと。

弁護士を諦めローンを組むためだけに公務員の道へ進みました。

T君は昔から、間違っていることは間違っていると本音で話し、人を守るためには熱くなるタイプでした。だから勘違いもされやすく不器用な人間。

公務員の職場に入ったはいいものの、そこでは同じような志しを持っている人は皆無で、同僚からはうざがられ上司からは仕事が出来ないレッテルを貼られ、なかなか苦しい1年だったそうです。

そんな職場を我慢した1年後、めでたくローンを組めたT君は公務員を辞めました。

この時までのT君はあまり自分に自信がなく、仕事が出来る自分というイメージもないような、そんな感じでした。

ここからは僕の仕事が多忙になり疎遠になってしまったのですが、今年になってまた頻繁に会うようになりました。

すると、T君は今は保険代理店で働いており、年収2,000万円を超える人物になっていました。僕がイベント業で忙しくしていたこの5年ぐらいの内に、です。

めっきりお金持ちになったT君は毎月200万円ぐらい持っている人。

仕事を辞めてお金が少ない僕とでは、お金の価値観が合うわけがありません。

2km先の目的地に着くのに「タクシーに乗るのはお金がもったいない、だから歩きで全然問題ない」と言う僕に対し、

T君は「歩くのは時間がもったいない、だからタクシーに乗った方が良い」という考え方をします。

焼肉を食べに行くことになり、家からお店まで電車で行っても30分、車で行くと15分ぐらいの距離にある焼肉店に行こうとなりました。

電車で行けば250円ぐらいで行けますしお酒も飲めます。

もし車で行こうとするとだれも自家用車がないためレンタカーを借りることになり、レンタカー代だけで4,000円ぐらい。

さらに駐車場で1,000円で合計5,000円かかる上に、運転手はお酒が飲めません。

だから僕はもちろん電車で行くことを提案しました。でもT君は電車は歩いたり移動が面倒だし、時間もかかって効率が悪いから車で行こうと言ってきました。

今まで僕とT君は同じような生活をし、同じような価値観で過ごしていました。

それが収入を得たことで、二人のお金の価値観には大きな差が出来て、T君のお金に対する価値観は大きく変わりました。

でもそれは「裕福な暮らしをしたい」、「俺は金持ちだぞ!」という変化ではなく、効率化を求める価値観の変化でした。

金銭感覚における価値観の違いって世の中ではあるあるだと思いますが、僕はこれは別に変わっていっても何ら不思議ではないし変わっていっても良い価値観だと思っています。

お金の使い方に関する価値観においては

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では、実績を積んでお金も稼げるようになった。でも、変わってはいけない価値観とは何でしょうか。

それは「心の価値観」です。

確かに数年前、公務員を辞めた頃のT君と比べると見違える程に自信に満ち溢れています。

でもT君の心は僕たちと出会った頃から何ら変わっていないし、気持ちの部分では同じでした。

「家も(ローンだけど)買えて、子供も生まれて何不自由なく暮らせてる。十分贅沢出来てると思うよ」という話を僕にしていて、さらに「お金を持ったからっていい物ばっかり買おうとしても、結局知れてるよな。そんなもの意味ないし。」と。

そしてT君はこうも言ってました。「お金の心配が減ると、確かに心は穏やかになるよ。昔は細かい小さなことでも気になってたことが、余裕を持って接せられるようになった」と。

お金で解決したらいーやとかじゃなく、自然と何に対しても許せる心を持てるようになって、怒らなくなったらしいです。

そういう意味でのお金は良いですよね。

要するに、実績を積んで結果を出してもお金に支配されてしまうとダメということです。

実績を積むことは人に伝えられる自分になるため!

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次は僕に当てはめて話してみます。

僕は今のこの時は実績を積む時期だととらえています。

どういうことかと言うと、人に伝えられる自分になるために結果を出して実績を積みたい、そのための今と思っているということです。

さらに言うと、残念なことに今の世の中はお金を持っていたり結果を出して賞賛を得ている人の言うことが通りやすい世の中になっています。

僕が会社員時代の頃、社内の誰よりもがむしゃらに働き、誰よりも会社に貢献し、結果を残してきました。

その結果、会社での発言力は高く自由度が高い状況を構築していました。

でも会社という組織上、僕の上には社長がいるのです。

残念ながらどれだけ社長の言っていることが間違っていても、僕は敵わなかったんです。ただ立場と肩書がある人間だからというだけで。

会社を興したわけでもなく、毎月何百万円も稼いでいる人間でもなく、ただブログを開設して毎日毎日何万字もの文章を書いている僕のこの境遇で、どれだけ本質的なことを言っても誰が聞いてくれるのか。

もちろん聞いてくれる人がゼロではないでしょうけど。

人に対して偉ぶりたいわけじゃない、お金は心に余裕があるほどは持っておきたいけど、遊びまくりたいがために稼ぎたいわけでもない、僕は世の中に発信する力を持つために実績を作ろうとしているわけです。

世の中に発信する力を持って、人に伝えられる自分になって何を発信したいのか?

ここが大事だと思います。

ただ自分の自我自欲を満たすために「俺はこれだけ稼いだ! こんなにお金を持っている! さぁ言うことを聞きなさい!」では、全く持って発信する力を身に付ける意味はないですよね。

では何を発信したいのか。

それは自分自身の正当性と心のことです。

自分が今感じて今思ってやってきている道が正しかったことを、実績を積みながら体感し、それが間違っていなければおのずと結果はついてきて、実績は積めるものと考えています。

正当性と言ってもお金を稼ぐことの正当性ではありません。

実績を得るまでの心の在り方や考え方、そういったものが間違っていないことを結果に出すことで、広く心に訴えかけられると思うからです。

心のことというのももっと精神的な、真っ直ぐに生きることだとか、愛情のことだとかそういうことです。

それが実績ゼロの自分が話すよりも実績を積んだ自分が話す方が、何倍も何十倍も大きく人の心に浸透すると思っているからです。

そのために実績を積むのです。

実績を積む意味 / まとめ

友人のT君、そして自分のことに当てはめて実績を積むことでどういう方向に向かえばいいのか、何となくわかっていただけたんじゃないでしょうか。

会社で仕事をしていく上で実績を積みたい、実績を得たいと思う人の考えは、給料アップのため・人に認められたい・すごいと思われたいという考えがほとんどでしょう。

でもその考えを持っている状態で実際に実績を得られた場合、自分が得たものは「お金を持ってる奴が偉い・俺はすごいんだ!偉い人間なんだぞ」に変わり、そういう人間性を持ってしまいやすくなります。

そうではなくて、そのもう一歩先、実績を積んだ先にどうしたいのかを考えて行動していくことで、また違った視点が見えてくるんじゃないかと思います。

自分に向けた言葉でもあるので、ぜひ参考にしてもらえれば幸いです。

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