これまでの人生の振り返りと新たな決意! まずは客観的になって振り返ってみる!

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こんばんは。Non太です。

今はブラック企業で安定した?拘束時間が長く休みのない会社のサラリーマンをしている僕ですが、少し今までの過去を振り返り、さらにはこれからの決意を書いていこうと思います。

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少年時代

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兵庫の西宮で生まれ、その後すぐに京都の八幡に引っ越し。3歳の時に奈良に引っ越しをし、高校までは奈良で人生を過ごしました。

これもあってか、やっぱり奈良が最高ですね。

歴史的建造物は多いしとにかく田舎。交通量も少ない(僕が住んでたところは)。

近い将来子供が出来たら、奈良で子育てをしつついつかは住みたいと思っています。

幼稚園、小学校、中学校の僕はと言うと裸の王様でした。

と言うのは、学校内では運動神経が一番良く、短距離走の50メートル走やマラソン大会の長距離まで、常に1番だったんです。

それが”俺は偉い”と勘違いしてしまい、クラスメイト達に偉ぶってましたね。たまに同窓会で小学校や中学校のみんなと会うと、Non太はホントにひどかったと言われます。笑

今は修正できて良かったですが。

でもこれも今の自分がいるからで、その時の自分と変わらない過去の自分のように裸の王様のままだったら誰も相手にしてくれてなかったかなと思います。

運動神経が良かったと言っても学校内だけ。それが県大会とかになると、全く歯が立たなかった…それは高校に入学してさらに思うようになります。

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文武両道を目指した高校時代

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中学まではざっくり話しましたが、高校は部活に始まり勉強に終わる、でも色濃い生活だったなと感じています。

中学までは運動は出来るけど、勉強は普通。いや、むしろ悪くはないけど的な状況。それがなぜか高校に入ってからは勉強のできる人となってしまったのです。

それは入試に受かった後、入学をするまでの間に高校側から宿題が出たんです。春休みの間にやりなさいと。

なぜか理由は覚えていませんが、その宿題を僕はマジメにやりました。

そして入学式も終わり学校生活が始まる頃、同じクラスになったみんなはほとんど宿題をやってきませんでした。

翌日から早速授業が始まると思いきや、まさかの校内実力テストがありました。

うげー!と思ったのは束の間、春休みに宿題として出されていたものが、そのまま実力テストの問題になっていたのです。

軽々と答えられた僕のテストの結果はと言うと、今まで経験したことのなかったまさかの校内で1番という結果でした。

真面目に宿題をしていたからなだけだったのに、「Non太頭いいんやなー」なんて初めて言われる快感もあり、入学してすぐから僕は「勉強の出来る人」とになってしまったのです。

その後はその期待を守るため、勉学にも励み、部活動は陸上部に所属し、文武両道を目指した高校時代でした。

文化祭や体育祭、学校の行事は様々全力で取り組みましたが、1番記憶に残ってるのはメチャメチャ勉強して、メチャメチャ部活に青春をかけたって事です。

今になって思うのは、本当にバイトやたばこに走らない高校時代で良かったなと。

その当時お小遣いも5,000円で、携帯の支払いも遊ぶお金も賄わなければダメだったので苦しかった記憶はありますが、今では絶対に経験できない経験をしておけたことがある意味誇りに思ってます。自分の中でですが、、、

周りにはバイトをして楽しんでる学生や、バイトで貯めたお金をバイクなどにつぎ込んで遊んでる友達や、俗に言う無意味にたむろしてるのが羨ましく思うこともあるでしょう。でもそれは高校生じゃなくても大学生になってからでも十分すぎるほどに出来ます。

なので、僕は勉強はどっちでもいいですが、一緒に部活を頑張り、そこで出会った友達と支え合い協力しあって頑張るということを、子供が出来た時には教えたいと思っています。

頭がいいと言いつつ、僕の高校の偏差値は当時49でした。中の中ぐらい。笑

それにも関わらず、ある先生は国立に行けるから頑張れ!と言って応援してくれてました。

大学に入学する時に指定校推薦ってのがありますよね?僕はそれを受ける資格が学校の中ではあったのですが、偏差値49の高校ですから、あまり世の中でいいと言われる大学の推薦はありませんでした。

それは視野に入れず、普通に受験する道を選びます。

関西で頭がいいと言われている大学に、関関同立というものがあります。

  • 関西学院大学
  • 関西大学
  • 同志社大学
  • 立命館大学

の4大学。このどれかにしようと。

兄が行っていた大学に進むことを決めた体育祭の終わり、10月頃です。

それまで全く受験勉強をしてこなかった僕は、やっとの事で本格的に頑張ることを決意しました。

その時に受けた学力テストでは、関関同立全てE判定…それにも関わらずなぜかこの時から受からない訳がないと思ってました。

そこからはどんな誘惑にも負けず、受験が終わった友達たちの誘いも、興味本位で吸い始めた人たちのたばこの誘いも全て断り、かなり勉強した記憶があります。

多分8時間ぐらいは毎日、休みの日も10時間ぐらいはしてたんでしょうか。

その甲斐あってか、無事にずっとE判定だった志望大学に受かることが出来ました。

ここまでを振り返ってみると、大学なんて関係なかったですね。

その時は全く何も考えていないまま、右に倣えで大学に進むものと思ってましたが、今の自分としては必要があるかないかでいうと必要がなかったなと感じています。詳しくは次に書きますが、結局中退してますし。汗

大学で良かったことは一生の友達が出来たこと。小学校も中学校も今でもまだ付き合いがあって同窓会をしたりで集まることがありますぎ、1番合うのは大学の時にできた友達。

それだけが僕が大学に進んで良かったなと思うことです。

ジェットコースターのように浮き沈み始めた19歳

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めでたく大学に進学し、普通に友達もできてバイトも始めて、順風満帆な日々を過ごしていました。

そこから一年生が終わりになる頃、あまり仲も良くなかった人から、噂がまわってきました。

メッチャ稼げるバイトあるらしいで!」と。

当時僕は奈良の実家から大阪の大学まで出ていたのですが、家庭の事情で学費も(奨学金です)通学の交通費も全て自分のバイト代でやりくりしなければならず、非常に貧乏な学生でした。

そこにかなり儲かるなんて話しを聞くとすぐさま飛び乗ってしまい、その話しをしてくれるセミナーがあるからと言うことで、その会場に話しを聞きに行きました。

もう推測できるかと思いますが、これはネットワークビジネスでした。しかも初めて聞いた時には激震が走るほどの衝撃を覚え、これは儲かる!なんて思いました。この辺も少しズレてたかもしれません。

最初の加盟金とうたって10万円が必要と言われ、そんなお金もありませんでしたから。さらには20歳以上からしか加盟できないと言われつつも、免許証さえあれば修正できるからという始末。

どうやったのかはわかりませんが、免許証のコピーを渡し、その場でお金とともに登録を済ませてもらいました。

もうこの話しは時効なので話してますが、登録詐称で、公的なものの偽造に当たるんでしょうね。結局この会社は一瞬で潰れたため、僕が1円も稼げることはありませんでした。

ちなみに、バイトを頑張って節約して、毎月振り込まれる奨学金を勝手に使ってお金は工面し参加しました。バカでしたね、、、。笑

ネットワークビジネスにひとたび関わると、どっからともなく◯◯の方が稼げるよ!とか、うちの会社に入りーやなどと、良く声をかけられます。

別に否定はしませんが、もし友達と一緒に成功出来るビジネスなのであれば、こんなにも世の中に批判は入らないでしょうね。そもそもやり方がおかしい人が多いからでしょうが。

幸い僕は友達にも声をかけたりしてましたが全く上手くいかないままに会社が潰れたため、大きなトラブルなどは起こしていませんが、本気で頑張ろう!なんて思っていた事から、それで大学を辞めてしまいました。

奨学金に手を付けて参加したために後期の学費も払えない状態でしたし。

大学に行ってる暇があれば、この仕事に本気で取り組んだ方がいい!なんて思い、勢いで辞めました。と言うか、退学届も出さずそのまま大学に行かなくなったので、正式には除名でしたが。笑

これが19歳になった大学二回生が始まる前の春でした。

ネットワークビジネスの再来と本質の理解

大学を辞めてからの僕はやろうとしていたネットワークビジネスの会社も潰れたため、結局フリーターになり日々を過ごしていました。

もうその頃にはネットワークビジネスのネの字も忘れるほどの日々。

そして20歳になって数ヶ月が経った頃、僕はクロネコヤマトの配達の補佐のバイトをしていました。

そこで出会った28歳ぐらいのフリーターがいたのですが、その仕事が朝から昼過ぎまでの仕事だったので、「この人はいつも何をやってるんだろう」という、普通の疑問にぶち当たってました。

ちょうど話すキッカケがあった時に、「昼からいつも何やってるんですか?」と質問したところ、「んー実はカフェの立ち上げをしててねー」なんて言うので凄いなぁ!と思った自分がいました。

それからさらに数ヶ月して、その人から「まだまだカフェの立ち上げに時間が掛かるから、一緒に手伝ってほしいんやけど、、、」と言われたため、また僕の成功願望に火がつき、ぜひ!と即返し、一緒に協力してやってる人がいるから、と言われ会うことになりました。

そして当日。スーツでやってきたその人に一瞬ためらいつつも、打ち合わせ的な事をしてたのかなと思いつつ一緒にやっている人に会うためのお店に向かいました。

会場はファミレス。中の場所は1番隅っこ。すでに紹介予定の人が座っていました。

柔らかい物腰のこの方をAさんとします。

そのAさんとバイトで一緒に働いている人と僕の3人で他愛もない会話をしつつ、なかなか本題に入らない事にしびれを切らした僕は、「カフェの話しってどんな感じですか?」と聞きました。

すると、Aさんから【それは夢を実現させようと頑張ってるところで…】と、あとはあまり覚えておりませんでしたが、うんたらかんたらと話し、結局出てきた事はそのカフェをオープンするための夢を追っているということでした。

カフェのオープンのための仕事をしているとかではなく、その夢を持っていて、その夢を追いかけている、という状況だったんです。

その夢を叶えるために頑張っているんだよと。だからNon太君も何か持ってる夢を実現するために一緒に頑張らないかと。

この流れ、どっかでも聞いたことあるなぁなんて疑念を持ちつつ、恐る恐るどうやって実現するのか聞いてみました。

ネットワークビジネスって知ってる?

まさかの話でした。

前の話しでは割愛しましたが、一瞬で会社が潰れた後、さらに勧誘がありまたまた20万円を払って違うネットワークビジネスと呼ばれるものに参加していました。これもまた、毎月振り込まれる奨学金をこっそり使っての事でした。

この時は3人ぐらいのグループが出来たのですが、右も左もわからない教えてくれる人もいないという状態で、結局うやむやになったまま終焉を迎えたという経緯があります。

そんなイメージでまた出てきたビジネスだったので、もう懲り懲りと思い断固拒否をしていました。

ただ、Aさん達の話しを聞いていくにつれ、僕が今まで経験してきた2社はどちらかというと詐欺っぽい会社であった事が分かり、イメージで悪いと思っていたものは払拭されたもののもう一度頑張ってみようという気にまではなりませんでした。

そんな中でも、このまま何もしないままフリーターだけをやってたらダメだしな、、、という思いがありつつなかなか踏ん切りがつかないままの僕に、Aさんが「一度会ってほしい人がいる。もしこの人と会って何も感じなかったら、それはそれでいいから」と言って、また違う人と会う事になりました。

今思えばこれがネットワークビジネスの基本的な流れなんですけどね。アップと呼ばれる人に会っていって色々な話を聞きつつ興味喚起を促し、チームへと取り組んでいく。まぁ僕がやってたのは10年以上前ですから、実際の現状はどうなっているかわかりませんが。

Aさんと一緒に(次会う人をBさんと仮定しますが)Bさんのいるファミレスに向かい、また雑談をしながら今思ってる事をたくさん話しました。

この時、もちろん僕が若かったというのもありましたが、その時の僕の思っていた不安も悩みもこのBさんと話すことで全て払拭され感動すらした事を覚えています。

ネットワークビジネスがなんたるかはもちろん、一緒に頑張っている人がどんな人なのか、将来の夢がどうであるかも含め、僕にはまた輝いて見えた瞬間でした。

そうして、ビジネスとしてはちゃんとしたビジネスである事を理解した僕は、もう一度だけネットワークビジネスをやろうと決意しました。

この時、僕は21歳になる年でした。

成功まであと一歩、そして一瞬で崩壊するグループ

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ネットワークビジネスにはまる多くの人は、「友達をなくすんじゃないか」とか、「夢物語をただ語ってるだけ」的に言う人が多いと思いますが、僕はオススメはしませんが中身をしっかり分かった上で物事は発言するべきと思いますね。

本気で取り組み始めたビジネス。

朝から昼すぎまでは変わらずクロネコヤマトの配達サポートのアルバイトをしながら、終わってから夜までは商品知識を覚えたり、マインドと呼ばれる思考や行動について学ぶため、LMというリーダーミーティングやBM(だったかな)ビジネスミーティングというものに参加してはモチベーションが上がり満足してました。

細かい話は省きますが、恐らく3ヶ月ぐらいで僕の友人が2人と僕のその時の彼女の3人、僕の直属のグループが出来ました。

この仕事をやっていく上で一番の難点は、ホントに直のグループが出来るかどうか、だけです。この3人ぐらいが出来れば、あとはそのサポートをどんどんしていく方に回る事が多かったですね。(あくまで10年以上前の状況のお話しです。)

そこから僕もどんどんプレゼンと呼ばれる勧誘の方へとステップアップし、なぜかほとんど同じ20歳のグループが出来あがり始めました。恐らく15人ぐらい。

そんな折、

成功の法則を聞いてみたい?

そうアップの人に言われ、「もちろん!」と息まいて答えた僕はついに奈落の底へと突き進む扉を開いてしまったのです。

成功の法則というと大層でしたが、結局は「買い込み」の事です。

その時僕は大学時代に申し込んだクレジットカードを持っており、上限額が30万円。

成功の法則と称して言われた通りに、上限いっぱいに買い込みました。

当時はこれが買い込みである事には気付かず、これをやっていく事が当たり前と思っていた僕は、グループで頑張る気のある人たちにもどんどん「成功の法則」と称した買い込みを勧めていきました。

ネットワークビジネスにはラリーと言って表彰式のようなものがあります。

その年の9月、大きなラリーが開催される事が決定。

ネットワークビジネスに参加できる最少年齢である20歳のグループがどんどん拡大していき、勢いのある僕でした。

アップと呼ばれる上の人たちからも一目置かれるようになっており、その9月のラリーに向けて僕が表彰台に上がれるようにサポートを手厚くし、グループを強固なものにしようという流れとなりました。

この時、ビジネスを初めて3ヶ月ぐらい、暑い暑い夏の7月頃のことでした。

タイトルを獲得し、僕が表彰台に上がれば否が応でもグループの指揮は上がる、そんな気持ちで頑張ろうと本腰を入れるため、1年ぐらい働いていたクロネコヤマトは辞めることにしました。

グループは育っていても給料は10万円もいかないぐらいの状況。

ネットワークビジネスの打ち合わせや仕事場は常にカフェ。

さらにはグループと打合せや話をする時は全て奢らなければいけなかったので、そのお金がない僕は今はもう潰れましたが武富士と@ローンという金融会社でそれぞれ20万円、50万円の融資を受けました。(一応クロネコヤマトを辞める前に申請し、それを受けてから辞めています。)

そうして軍資金を得て、グループのみんなを鼓舞し続けた8月。グループはいつしか50人を越えており、僕から派生したグループの売上も上り調子でした。

そして、タイトルを獲得するための8月、成功の法則を連発しました。まだ頑張ってみようとあまり中身をわかっていない人たちにも成功の法則を連発し、話を聞かせては金融会社へ一緒についていく、と言う事を繰り返しました。

8月末、僕のグループの売上は1,000万円を越えていたと思います。表彰台に上れる!と思っていた矢先、僕からの直属の系列が3系列ある内の1系列のグループだけ、売上が100万円を切っている事が発覚。気付いた時には時すでに遅し、修正はきかず僕のタイトル獲得と表彰台にのぼるという夢はついえました。

それでもグループで1,000万円以上売り上げた実績から、翌月の給料はそれなりにあるだろうと踏んでいた僕。

結局、その売り上げから獲得した給料は・・・11万円でした。

あの8月は若かった勢いもありましたが、とにかく寝ずに走り回った記憶があります。

そして1,000万円以上のグループからの売り上げ。

これだけ寝ずに頑張ってたったの11万円?!

そんな気持ちでいっぱいでした。

細かな理由は省きますが、これだけ収入が少なかったのは3系列ある内の1系列が売上が上がっていなかったために、売上のパーセンテージを取れなかったのが原因でした。(良く分からない方は、ネットでネットワークビジネスの仕組みなどを調べてみてもらえれば、お金の発生の仕組みもわかると思います。)

この現実を目の当たりにし、僕は夢への扉が閉ざされたという気持ちでいっぱいになり、もうこれ以上は頑張れない。

むしろ、1,000万円も売り上げて給料がこれだけじゃあ、自分に付いてきてくれているグループのみんなに夢も見せられない。

今までは借金をしながらグループのためにお金を出しながらも、結果を出せば何倍にもなって返ってくる、そんな行動を見せられれば!という気持ちで取り組んでいただけに、結局何も残らないのでは今までグループに発言してきたことがウソになると思い、これ以上自分の行動にウソは付けないということで辞める事にしたのです。

アップと呼ばれる上の人たちには止められましたがそこどうでも良く、それよりもグループのみんなにどう説明しようかと思いましたが、正直にみんなを集めて話しました。

  • 自分から派生するグループの売上が1,000万だったこと。
  • それはみんなが買ってくれたから発生している売上であること
  • それでも給料が11万円しかなかったこと。
  • 自分の頑張る気持ちがなくなってしまったこと。
  • そして、自分が頑張るということでついてきてくれたのに裏切ってごめんということ。

幸い、グループのみんなは理解してくれて僕を責める人はいませんでしたが、その瞬間グループは崩壊し僕の手元に残ったのは自分の借金が120万円程と、当時の彼女の借金100万円、そしてグループのみんなは50万円程の借金が残り、そのまま解散のようになりました。

少年時代から20歳まで一気に離したので長くなってしまいました。

次は20代~今、そして新たな決意を書いていきたいと思います。

次に書いた記事はこちら⇒客観的に人生を振り返った後は、新たな決意を固めよう!

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